ロートレック・・・彼の作品を初めて見たのは十数年前、大丸ミュージアムKYOTOでした。
・・・サントリーミュージアムでやってる。
Henri Marie Raymond De Toulouse-Lautrec-Monfa (アンリ・マリー・レイモンド=ド・トゥールーズ=ロートレック・モンファ)(1864-1901)と正式名はとっても長い。
フランス人の名前はファーストネームやミドルネームやファミリーネームがいっぱい付いててややこしい。 Deの入った名前は、先祖が貴族階級を表すなんて知らなかった。
両親はいとこ同士。名門貴族のロートレック家とダビデ家はそれまでに何度も婚姻関係を結んでいる。 13歳で左大腿部、翌14歳には右大腿部を骨折。たいしたことではないのに・・・なぜ? その後彼の両足の発育は完全にとまってしまった。身長は140cmほど。
ロートレックが患った、常染色体劣性遺伝によっておこる濃化異骨症というきわめて稀な病気は、仮説によると同族結婚が繰り返されたことと無関係ではなさそう。。。 低身長、骨折しやすいこと、顔つきなどに特徴が出るなど成長するにつれて顕著になってきた・・・ほんとだ。
その頃から徐々に父から見放される。そんな醜い容貌を毛嫌いした父だから、彼も心を開かないよ。
けれど、母は違った。別居生活や下の子どもと死別したこともあったのだろうか。 それよりもなによりも、彼を生んでこのような姿にさせたのは私という自責の念に追い込まれながらも、アンリに希望を託したのですよね。
いつも傍で見守っていたおかあさんは分かるんですよ、彼の絵の才能が・・・神の贈り物? アンリのことを理解してくれたのは、世界でただひとり おかあさんだよね。
将来の不安を抱えながらも、陰で支えてくれた・・・ 逢いたいときは「いつでも帰っておいで」、逢えなくても「手紙を交換しようね」 とっても仲のいい親子。。。
そして、彼はパリに出た(1881)
モンマルトルにあるキャバレー『ムーラン・ルージュ (Moulin Rouge)』をこよなく愛し、通いつめる。
上流階級の豪奢な遊びよりも、人生の哀しみや悦びを知っている庶民の夜の世界が好きだったの? 踊り子と語り、娼婦たちと快楽に溺れ、サーカスに興奮、酒場に入り浸れアルコール中毒、デカダンな生活 瞑想にとりつかれ、幻覚を見始める、梅毒は悪化の一途 身体障害者として差別を受けていたこともあって、俗世界に共鳴した・・・うん
・・・麻酔の発作に襲われ入院
ロートレックさま あなたは ベル・エポック(Belle Epoque~良き時代)の申し子? 否 そうではない きっと・・・辛いなー 実家に戻り、おかあさんの腕の中で静かに息を引きとる。。。。。(1901/9/9 36歳で他界) 今はのどかな小さな町の墓地で、おかあさんといっしょだね。よかった、よかった。
最後の言葉は「おかあさん、本当にあなただけですよ」
もっと彼の作品をしっかり観たい。もう一度見ます。
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